制空権

少し人と話す機会が増えて、自分のコミュニケーションの問題点がある程度分かってきた。私は人と会話する時に不安から多弁になってしまうところがある。自分に多弁の癖があることは昔から知ってたけど、それは会話するのが好きだからとか勝手に解釈してた。でも沈黙が怖かったり、自分の意志や思いを相手に証明しようと躍起になってるから多弁なんだなと。会話が好きと不安だからということが相互にコミュニケーションに悪い影響を及ぼしてる。

不安症とか所謂コミュ障って黙って喋らないみたいなイメージを想起するけど、それは不安の一形態であって、私のような間を言葉で必死に埋めようとするタイプの不安症もいるんだと思う。今考えれば、試し行動をしてしまったりとかの行動的な精神病の症例が一般的にあるのだから、不安からくる多弁みたいなものもあると気づくべきだった。オフェンシブな不安症とディフェンシブな不安症みたいな。この不安からくる多弁みたいなものって相手を聴き疲れさせてしまうし、相手の喋る間や場を奪ってしまうので、実は黙って喋らないタイプのコミュ障より害があるのかもしれない。それは積極的な会話というよりパーソナルエリアに対しての侵犯的なものになってしまってたりする。自分の今までやってた会話ってのは基本的に会話ではなくて、パーソナルエリアをどう攻略するのかみたいな感じだったんだろうな、きっと。

こういう発想って今までなかったのに、なんで今はパッとわかるようになったんだろうかと思ったら、間を意識するみたいな部分ってギターをやっててすごく必要になる部分で、既存の曲を弾くときに並んだ音符をただ弾くのではなくて、ここは強く、ここは弱く、ここは短く、ここは長くみたいにしなきゃいけない。それをやらないと同じ曲なのにもかかわらず、音痴に聞こえる。このギターを弾くときに意識するリズム的な発想がギターやるまでなかった。今もあるとは言い難いけど、気づける程度には備わってきたと言っても良いと思う。

昔、知り合いがEMINEMを聴いてると頭が痛くなるから嫌いだということを言っていて、なんで頭が痛くなるんだろう?音が大きいからか?とか思ってたけど、きっと音と音の間の狭さとか言葉の多さとかが頭痛の原因になってるんだろうなと今なら思う。確かにごちゃごちゃしててうるさい的な事も言ってた。結局、黙りすぎず喋りすぎずが自分の理想のコミュニケーションの形態だなと思う。できるようになるかは相当怪しいけど、できるようになりたいな。それかmateus asatoになりたい。

www.youtube.com