LIFE LOG(ここにはあなたのブログ名)

12/28 さてさて

統計で個人を語る人間達にとてもイライラしている。

人間関係の中であれは一番やってはいけないと思う。何故かあまり共有されてない気がする。嬉々としてみんなやってるからそう感じてしまう。

統計の結果と目の前にいる個人は違うってなぜ分からないのか。イライラする。

自分では変更不可能な性別や生まれでこれをやる人間がいる。

正義を標榜としてる人間がそれをやってるのを見ると白いシャツの一点のシミのようにとても気になる。気になるというかストレスが凄い。

悪人なら私は悪人ですってちゃんと宣言してから発言してほしい。

統計で個人を語らないを来年の全人類の目標にしてほしいぐらい。個人を統計で嗤うな。

現実に向き合えとか自分に向き合えって言う人間は一生現実や自分と向き合い続けて他者に何も発しないでほしい。

心理学とか統計学とか差別の内燃機関だと思い始めたぐらいムカついてる。

システムや構造についてのみ使われるべき理論が個人攻撃の武器に変わってる。

攻撃を正当化するために理論を持ってきてる。最低最悪である。

インターネットで他人の悪口を言おうが、個人を統計で馬鹿にしようが別に良いけど(本当は良くない)それが正義の側に立つことは無いぐらいの認識を持つ社会であってほしい。

統計攻撃やられると本当に怒りと虚しさで精神が壊れちゃいそうになるので、悪いことをやってるって自覚をもってやってほしいし、コミュニケーションの場では出来る限り控えてほしい。

年末は体調を崩している事が多いので、例年通り少し調子が悪い。調子が悪いせいなのか、精神のバリアがしっかりと機能してなくて色々な言説がダイレクトに心に届いてしまってる。

引きこもりで友達もいないとインターネットに居座るしか無い(本当にそうなのか?)ので色々と精神が大変だ。休肝日ならぬ休心日を作った方が良いのかもしれない。

おわり

音楽のコーナー

www.youtube.com

こんな感じのストレートな曲が大好きだけど、ストレートすぎて好きってあんまり言えない。昔から何が嫌いかは簡単に教えられるけど、何が好きなのかあんまり人に教えたくない。きっと恥ずかしいからなんだけど、何が好きなのかちゃんと言えるようになった方が良い気がする、多分。

 

12/24 犬と猫は感動の素

ここ数年、あ!心が苦しい!と思ったら犬と猫の動画を見て心を癒やしてる。いや、動画見ながら泣いてる。

犬と猫は天からの使者。神にマジ感謝。

 ハマジさんのツイートが特に最高でツイートの全てが癒しで構成されている。

tatus/985109482324676608?s=20

 

 

あと動物と人間の出会いみたいな動画も泣いてしまう。体が感動を欲しているのかもしれない。感動欠乏症だ。

おわり🔚

https

12/07 ストレスのす!

 

ストレスがすごい。4年間ぐらい退廃的な生活をしてきたけど令和になった辺りから突端に悪化してしまった。未来のことを考えてるときは過呼吸になりそうなのを必死に抑えて、過去の事を考えていると体全体の力が入って強く目をつぶって歯を強く食いしばるような事をしてしまう。ストレスで絶叫してしまう人もいるらしいけど今の所そこまで酷いことにはなってない。

周りを見渡す限り内面に問題を抱えてる人はみんな病院に通院してるけど、やっぱりその方が良いのかな。まだ自力でどうにかできるんじゃないかと思ってるし前より良くなった部分もあるって信じてるんだけど、ただ悪化してるだけだとしたら悲しい。

何回か書いてるけど、没頭している時は自分の事を忘れられるので早く何かに没頭したい。自我喪失時間をたくさんつくりたい。この前記事に書いた『人間について』を考えていた3日間はとても楽しかった。

最近はゲームする!とか映画みる!より没頭する!って思って何かをやっている。自己暗示は重要。しかし、残念な事にゲームをやっている時は吐き気を催すようになってしまった。昔は何時間も没頭できたのに30分で限界になってしまう。最初はゲーム酔のせいかもしれないと思ったけど、今思えば資格の勉強をしてる時も時折、吐き気に襲われてそれを抑えるために勉強しながら日本昔話に出てくるような大きいおにぎり2個食べて凌いでた。吐き気を催すとおにぎりをかじるの繰り返し。多分、意味が理解できないとかの壁にぶつかった時に吐き気が強く出てるので、壁ばっかりの社会でやっていけるか本当に不安。

前も精神的に調子が悪いと首や腰が痛くなったりしたけど、姿勢を正したり、ストレッチをすることで改善できた。でも、吐き気ってどうすれば改善するのかわからない。調子が悪いからって理由でやるべき事を中断するといつまで経っても出来ないのでいつか調子良くなるはずと思って無理矢理にでもやっていくしかないんだよね。時間は待ってくれないので仕方ない。時間が待ってくれればもっとゆっくりできるのにね。

今は音楽、ウィリアム・ターナーの絵、『ビックバンセオリー』の3つの柱によって生かされている。音楽は音も歌詞も心地よく体に入ってくるのでとても良いし、ウィリアム・ターナーの絵はもう世界で、ビックバンセオリーは空気のような存在。抽象的な物は全て良い。

フィル・コリンズの『ターザン』の歌といえばYou'll Be in My HeartよりSon Of Man。


Tarzan -Son Of Man (Phil Collins)

フィル・コリンズは最高。神。

あとウィリアム・ターナーの絵と解説が載っている素晴らしいサイト。

www.musey.net

 

特に好きな2つの作品。wikipediaの画像の方が解像度が高くて詳細に絵を堪能できる。部屋の壁一面に張りたい気分になる。

海上の漁師たち』

海の色や太陽の光が美しい。どうしてこんな絵が描けるんだろう。

en.wikipedia.org

www.musey.net

『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』

これを初めて見た時泣きそうになるぐらい感動した。凄い外の世界を感じた。

ja.wikipedia.org

www.musey.net

ビックバンセオリーは笑い半分下ネタ半分で構成されているので下ネタ苦手な人はあんまり見ないほうが良いと思うけど、本当に面白いのでよかったら見てください。これがなかったら本当に人生もう終わってたと思う。

 

オタク青年4人とセクシー美女の法則

オタク青年4人とセクシー美女の法則

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

12/03 ゾンバルトの『人間について』について

もう人生が無理すぎて現実逃避で1日が終わってしまう毎日を過ごしてる。

でもどうせ働かなくちゃいけなくなるので、ちゃんと脳を動かせるように本を読んでる。文章すら見れなくなったら色々な事が困難になるのでこれだけはちゃんとやってる。

今回はヴェルナー・ゾンバルトの『人間について』をkindle unlimitedで読んだ。結構面白かった。

人間について

人間について

 

この『人間について』はナチスが台頭しユダヤ人の迫害、アウシュヴィッツ強制収容所でのユダヤ人虐殺が始まる寸前の1938年にドイツで執筆された本で、そんな苛烈な時代背景を思いながら本を読み進めるとより堪能できると思う。

ゾンバルトはドイツの経済学者で性愛が資本主義社会を促進させたという主張をした事で有名らしい。禁欲主義的なピューリタンが資本主義の発展に寄与したと説いたマックス・ウェーバーとはこの主張をしたことで対立してしまった。

ゾンバルトは冒険心溢れる挑戦的企業を冒険的企業、まともで着実な方法で富を得ようとする企業を市民的企業と分け、特に冒険的企業が資本主義社会を発展させたとした。ゾンバルトは奢侈(身分を超えた贅沢)な生活や娼婦に貢ぐ事を資本主義的観点から擁護したためヴェーバーマルクス主義者、恩師であるグスタフ・フォン・シュモラーからも批判されてしまう。

しかし、ゾンバルトも途中から後期資本主義の行く末に不安を覚え始め、第1次世界大戦の影響もあってか自由主義的主張を止め軍国主義的主張をするようになる。

ゾンバルトwikipediaを見ると反ユダヤ主義的な事やナチスに賛同した事が全面的に展開されているが、『人間について』では人種や遺伝素質よりも精神を讃え、混血を擁護した事で本書はナチス当局に睨まれ、出版も制限されている。

彼の妻コリナ・ゾンバルトは戦後、「夫の本はただ学者だけにしか販売が許されなかった。ドイツでも外国でも夫の研究発表は禁止され、最後の学会での講演も拒絶された」と書いている。
ヴェルナー ゾンバルト. 人間について (Kindle の位置No.197-199). 株式会社PHP研究所. Kindle 版. )

原書は第一部「人間の特性」、第二部「人間と民族」、第三部「人間の生成」の全3部に分かれていて、金森誠也さんが訳した『人間について』は3部の「人間の生成」のみを訳出した本となっている。『人間について』だから心理的の本かと思い手に取ったら全然違っていたので最初戸惑った。

本書は人口論から経済論などの幅広い、”人間について”を論じている本で、例えば少子化論だと経済的な観点のみが議論の対象にされてしまうが、経済以外にも環境、思想、集団における抑圧が強く少子化に影響していると説いている。

アレキサンダー・フォン・フンボルト(一七六九─一八五九)が一〇〇年以上も前にあげた研究成果に、今日いったい何を付加すればよいかわからないけれども、ともかく彼の研究はすべて、最近の学者の研究によっておおよそ正しいことが証明されている。そこで、物事を簡略化するためにも、彼の次のようなすばらしい文章を紹介するにとどめようと思う。「キリスト教徒居住地で人口が減少した原因は、先住民であるインディオの宣教師に対する反感、不健康で暑くて湿気の多い気候、貧しい食物、子どもが病気にかかってもなすすべもない状況、それに妊娠を避けるために毒草を食べる母親たちの悪い習慣である。ガイアナや多少文明化した南方の島々に住む未開の住民たちの中には、けっして母親になりたくないという娘たちが多い。……彼女たちは子どもを生むと、とくに食糧の不足による多くの危険にさらされることになる。それにあらゆる異常児を絞殺すべしという迷信がある。双生児を生むことは世間一般の嘲りのまととなることを意味する。自分の生んだ子どもを捨ててしまうネズミや有袋動物、それに、多くの下等動物と同じ有様になるのだ。それに双生児として同時に生まれた二人の赤ん坊の父親が、果たして同一人物かどうかという妙な疑念がもたれるおそれすらある。ともあれ五体不満足な赤ん坊や弱々しい赤ん坊はすぐに殺されてしまう」フンボルトは続ける。「無邪気と単純な風習は原始状態の人間の幸福のあらわれとしてたたえられている!だがそんなことはあるまい。双生児を生んだときは世間の嘲笑のまととなることをおそれ、食物不足で苦しみながら遠い土地まで放浪させられる運命にならないように、むざむざと彼らを殺してしまう親がいるのだ」
ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.952-969).株式会社PHP研究所.Kindle版.

また、国家が市民を統治するためにコントロールしにくい独自性や特殊性を除去し民族を均し市民を規格化した。そして、それがより進んでいくと次は内面までも規格化されてしまうようになったと論じている。現代でもよく見られるような主張が1930年代に既に論じられているのは凄いなと思う。

ところがこうした華やかな時期がすぎ、人間生活の規格化が進むようになると、今度は人間の魂の生活が抑圧されるようになった。これを魂からの脱却という。自然と精神との間の調和は失われ、人間は生きた有機体の代わりに人工的な機械、器具にばかり囲まれて生活するようになった。そして合理的につくられた組織の中に押しこめられるようになると、人間は本来の生活のリズムを失うようになった。人間はもはや昼夜の区別、夏と冬の差異、さらには労働と休息、週日と休日の違いもわからなくなった。人間はまさにロボット化した。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.1522-1528).株式会社PHP研究所.Kindle版.

人間の行為が機械によって代行される事で国家、企業の言いなりになってしまい思考や感情までもが退化してしまうと論じている。少し老人の保守的な小言のようにも感じるが、国家や企業が人間の内面に侵入して思考に影響を及ぼしている場面は現代ではよく見られる光景だと思う。例えば法律を絶対善とするとか。

人間精神の機能は自らつくり出したもろもろの機構によって代行されることになる。これこそおのれのものとされてきた主観的な精神はいわば排除され、余計なものとされる。何事も機械、器具が代行してくれるために現代人はわずかの知性だけ備えていればよいということになる。社会生活をおくるにあたっても、何でも代行してくれるのは経営組織である。現代人は政治の面では政党、あるいは国家のいいなりになり、余暇には新聞、雑誌を読み、映画を見て過ごすだけ。これでは思考もいらず、まるで原始人さながらの有様となる。感情の面でも、とくに大都会では、現代人は「大企業」の宣伝に流されるままになってゆく。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.1533-1539).株式会社PHP研究所.Kindle版.

 

また、経済が本人や集団が抵抗できないほど大きくなり、本人の意思とは関係なく奴隷のように強制的に参加させられてしまうようになる。そして富は上流階級に占領され大衆に降りてこない事に気づいた時には酷い有様になった後だったと語っている。はぁ資本主義マジ最低である。富が上流階級に支配され、労働条件や賃金が上流階級に有利に下流階級には不利に設定されている状況は最悪な事に現代でもそうである。

「経済」が民族形成に与えた影響これははっきり独立した現象だが、それでも技術と結びついて変化した。そもそもある民族が土着民となったとき、次に牧畜と農耕が一体化して進められたとき、もろもろの民族がもっぱら、あるいは優先的に商業に従事するようになったとき、ある国において経済的な主導権がもっぱら王宮に集中したとき、また別の国で城塞や夫役の農場がやたらと見受けられるようになったとき、経済の動きが小都市周辺で集団化しはじめたとき、国土が工業化され多くの人々がやむなく鉱工業の施設である地獄のような仕事場で働かざるをえなくなったとき、ありとあらゆる種類の大企業が大工業都市の育成に、つとめはじめたとき。こうした時代こそまさに破滅的な大変革の時代と呼ぶべきだろう。住民は否応なくこの趨勢にしたがわねばならない!しかし次のようなもっと強力な影響を、経済は諸民族の形成に及ぼした。──これは最近数世紀の間に見られたことだが──富がかなり増加したものの、資本主義的経済組織の本質的構造によって(ひとつにはヨーロッパには奴隷民族がいなかったのでそうなったのだが)、大幅に増えた富の大部分がますます大衆の手に渡らなくなったことである。もともと大衆はやっとその頃になってもろもろの要求をかかげ、社会に対してしかるべき法律を定めようとする目標を打ち出したのだが、いかんせん、現状はこのような有様となってしまった。
ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.1780-1797).株式会社PHP研究所.Kindle版.

そして、ナチスが台頭してきた時代に相応しい人種論がアルテュール・ド・ゴビノーによって開陳されている。ゴビノーによると白人が発展するつもりで黄色人種や黒人と白人の血を混血させるが、有色人種の劣悪な遺伝子によって白人の素晴らしい遺伝子は劣化し文明が衰退すると説いてる。このゴビノーが1853年-1855年に執筆した『人種の不平等について』の普及に作曲家のリヒャルト・ワーグナーも尽力したらしい。白人様マジ万歳である。このゴビノーの白人至上主義的思想はナチスに影響を及ぼしてたらしく、ここでゾンバルトが引用して論じているということはまだ世論的にはトンデモとして受け取られていなかったように思える。実際ゾンバルトも本書においてマルサス人口論を論じていた章に見られた強い批判はこの章ではなかった。

ともあれゴビノーの説によると、この世には三つの時代がある。まず神々の時代、次は英雄と貴族の時代、そして最後に一般的平等の時代となる。この最後の時代は決定的に混血の時代である。この時代でも人類の三分の一は白人の血を保持しているが、無数の混血によって、かつての純血は失われる。こうしてゴビノーは人類の終焉について次のような像をかかげその大著の結びとしている。「人類の大多数は陰気な、半分は眠っている状態に陥ってしまい、いずれは破滅する酔生夢死の有様となる。ちょうど黒海沿岸の沼沢地の水たまりの中をうごめく水牛のように」

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.2076-2085).株式会社PHP研究所.Kindle版.

しかし、ゾンバルドも流石にコビノーの白人様マジ万歳な主張に対して自由勝手な主観的解釈だと反論する。ゾンバルトの主張の展開の仕方を見ていると倫理的かどうかよりも整合性が取れているかに重きを置いてるように思える。

混血を経たあとの民族の興隆説、あるいは衰亡説についても疑念を抱かざるをえない。それというのも、両説の中には不確定な要素が見受けられるからである。そもそも何が興隆か、何が衰退かについての判断が曖昧である。この二つの概念は重要な意味を秘めておりながら、自由勝手に主観的な解釈を下しうるきらいがある。先に引用したゴビノーの最終結論を見るがよい。彼が人類の将来について予見した状態は、そもそもひどい衰退か、それとも最高の成果か、どちらだろう?──ゴビノーは憂いたが例の黒海沿岸の沼沢池にいる健康そうな未来の水牛の群れの姿からもうかがわれるように──未来の人類は健康になり栄養にも恵まれ、一切妨げられることなく結婚し、そして生の喜びを満喫するようになるだろう。そうなった暁には、人類は平等な個人から成り立つことになり、これ以上望むことはないという有様になるのではないか?

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.2098-2107).株式会社PHP研究所.Kindle版.

そしてこのバッハ家の下りは秀逸だと思う。博学さもそうだけど、ナチスが台頭してきている人種主義の時代にこのように言い切ってしまえるゾンバルトの力強さはグッと来る。ガルトンとは多分、優生学統計学の父であるフランシス・ゴルトンの事。現代でも手癖のようにSNSで統計や心理学で人を語ってる人々がいるけど、あれって相当危険な行為だと思う。学問は取り扱いに注意しなければいけないほど危険な面もある事を忘れてはいけないと本書を読んでると強く感じる。

たとえばバッハ家のように、音楽の素質に恵まれた人々が同一の家族の中に大勢いることがわかったとしよう。このことは何を教えてくれるのか?それはただバッハの家系では六人か七人の人並以上にすぐれた音楽の才能の持ち主がいたが、それ以上はいなかったということを教えてくれるだけである。それにしてもバッハ家におけるこんなに多くの音楽の天才の誕生は単に偶然の賜物にすぎないのか?さらに一歩進めて、そもそも音楽家の素質は遺伝によって継承されると断言できる者がいるのか。仮にそうだとしても、いかにしてそれが行われるかはわからない。こうした疑問には回答などは得られず、ひたすら臆測するだけである。ガルトンは、イギリスの紳士階級からは国民の平均よりも多い有名人が出ていることを数量的に証明した。しかしこのことは彼の時代には支配階級における出世のチャンスが農民、手工業者その他労働者たちよりも大きかったということを、おそらく証明した程度のことであろう。また多くのアンケート調査の結果によると、学童の学内成績やインテリジェンス・テストの成績は、有名私立学校のほうが一般の公立学校よりもよいということであった。しかしその理由は学童の素質の違いよりもむしろ、環境の違いのせいではないかと思われる。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.2967-2979).株式会社PHP研究所.Kindle版.

遺伝がその人間を形作り、意思でその流れから脱する事はできないとするコビノーを代表とする極端な人種主義者たちが信奉する自然主義的な考え方と精神や自由な行動によって人間が形作られ、遺伝などはなんら障害とはならないとする霊的見解の2つの考えの対立が発生する。ゾンバルトはその両方とも(特に自然主義)間違っているとして、人には明らかに限界があるが、環境や経験によって発展する事ができると主張している。

あらゆる形而上学的、あるいは感情的な先入観を捨てされば、われわれは経験に即した客観的判断に基づき、二つの見解はともに間違っている、とくに自然主義的見解は完全にあやまりであるし、霊的見解も部分的におかしいと確信せざるをえないであろう。むしろ経験は、精神と自然が平等に人格の形成に関与することを教えてくれる。さらに経験によれば、精神は人間の本性に与えられているもろもろの条件に直面すると、やがておのれの力の限界を見出してしまうのだ。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.3016-3020).株式会社PHP研究所.Kindle版.

そうはいっても経験は、人間の意志が人間の自然に広範囲に及ぶ影響を与え、その素質をこわしたり、あるいは逆に発展させることができることを、さらにこれにより精神が一大飛躍をなしとげ、個人の知識や努力を促進し、これによりその個人を自由自在に操縦することができるようになることを教えてくれる。限界は存在するが、自然には影響を与えることができる。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.3032-3036).株式会社PHP研究所.Kindle版.

 ゾンバルトは親や先祖から遺伝する能力を自然、環境や教育によってその個人に培われる遺伝しない人間特有の能力を精神としている。もう少し詳しく書くと精神自体は親から子へと遺伝するが、それは精神の土台だけが遺伝するわけであって親が培った精神そのものが子に引き継がれるわけではないとしている。そして自然と精神の両方が作用して人間を発展させるとしている。ここが凄い難解でよく分からなかった。例えば怒りの表情は自然だか微笑みは精神であると区別してるけど違いが全くわからなかった。多分ゾンバルトは動植物に見られるような行動は自然としているんだろうけど、イマイチ納得できない。でも自然より精神を人間特有の重要なものとして捉えてることは理解できた。

人間は二つの世界に属しており、この精神と自然との二分された有様をおのれの中に抱えている運命の下、死ぬまでこの状況と闘わねばならないということがわかってきた。これがあらゆる研究のいたるところに見受けられる結果である。そもそも人間の全存在は、おのれの精神的本質と自然による拘束との間の対決の中におかれている。こんなことを動物は知らない。だが個人と種族との間の、そして遺伝されたものとおのれの生活の課題としたものとの間の極端な対立は、実は人間存在の本来の意味と内容をなしている。かくして拘束と自由の間の戦いの中で、人間はおのれの本性を保持せねばなるまい。

ヴェルナーゾンバルト.人間について(Kindleの位置No.3090-3097).株式会社PHP研究所.Kindle版.

 

私が面白いと思った所を抜粋した。全体的に難しくてしっかり読解できている自信がない。読書メーターにも2件しかレビューが無いし、感想が書いてあるブログも見つけられなかったので、ちゃんと理解できてるのか凄い不安。

理解を深める為に複数回読んだけど、1回目の特に最初の20ページぐらいは本に慣れなくて厳しかったけどページが進むに連れて面白くなった。

記事で引用した文章は本書のごく一部で、凄く幅広い事を論じている。そしてなによりも重要な事は前出した通りナチスが台頭してきた時代の、しかもアウシュヴィッツ強制収容所ユダヤ人が虐殺される寸前に書かれた本だということ。

しかもゾンバルトはそのナチスを支持してしまう。少なくとも本書の中でのゾンバルトは公明正大で人の力を信じてる人物のように思える。それがナチスを支持してまった事の重さを考えると世の中は本当に複雑だなと思う。

本をあまり読んでこなかった私にとっては相当面白かったので、もし機会があったらみなさん読んでみてください。

しかし、本当に働きたくないなぁ・・・はぁ。そして、この記事長すぎるでしょ。

 

 

 

 

 

 

11/22 天国になどとうに行けないけど この音楽なら聴ける

資格落ちてた。大体予想してた点数とほぼ同じだった。これからまた勉強を再開する。

あと勉強繋がりで2冊本を読んだ

東大首席が教える超速「7回読み」勉強法 (PHP文庫)

東大首席が教える超速「7回読み」勉強法 (PHP文庫)

 
改訂版 東大に2回合格した医者が教える 脳を一番効率よく使う勉強法

改訂版 東大に2回合格した医者が教える 脳を一番効率よく使う勉強法

 

福井一成さんの本はセンター試験の勉強を科学的に説いていて説得力があったけど、山口真由さんの本は何故この勉強法に至ったのかを自身のエピソードを混ぜて展開してて読み易いし、面白かった。蛍の光の幻聴が聞こえるようになるぐらい勉強するってどうなってるんだろう。蛍の光が聞こえるぐらい私も勉強してみたい。

山口さんは300ページの本を30分で読むらしくて、いやいや1ページ6秒ってお前さん・・・って思ったけど、30分で読み終える事はさして重要ではなく1回の読書で全体に目を通してそれを繰り返すことに意味があるらしい(福井さんの本にも一章ずつ進める部分法より本全体を読み終える全体法の方が記憶に定着すると書いてある)

一回山口さんの真似して資格の参考書を30分で読んでみたら、脳がパニックを起こして体調が悪くなった。福井さんの本によると脳はその人の使ってる強度で発達するらしい(本当?)ので、体調が悪くなっても無理やり読んでれば読めるようになるかもしれない。

7回読み勉強法はわんこらさんというネットで有名な数学講師の人のわんこら式数学勉強法と凄い似てる。山口さん、福井さん、わんこらさん、3人の超人が同じ答えにたどり着いたのは偶然じゃないと思うので勉強法としては説得力ある気がする。ただ、ハーバード、東大、京大では生まれ持ったステータスがそもそも違う気がするので、凡人にも再現できるのか少し疑問。でも面白そうなので7回読み勉強法&わんこら式勉強法で資格の勉強してみようかな。

勉強法の本読んでると勉強できる気がして気分が向上するので良いね(バカ)

この本読んだ後に調子乗ってヴィトゲンシュタイン論理哲学論考を見て脳を壊されてしまったので、資格の勉強は明日からやります。

タイトルの歌詞の歌。凄い良い歌だと思う。


ARARE - ADVISE (unofficial)

11/09 傷跡を辿ってどこへ行く

コンプレックスをどうやって昇華できるか、いつも考えてしまう。劣等"感"ではなくて劣等だから大変だ。過去と向き合うと今と向き合うことになる。考えて練り上げて答えをだしても、これから、今から、コンプレックスを打ち消す為にそれをやるのか、と。そして考え疲れ、自殺願望と落ちていく。 

ひきこもりになって気づく事が沢山あった。埃はすぐにたまること、生活音は以外と大きいこと、家に居ても安らがないこと、孤独も時間を奪うこと。

ひきこもりになる前は考えることは楽しいことだと思っていたけど、今は少しだけ違う。考えることが苦しみと結びついてる。それを断ち切るためには自己を考えないぐらい没頭できる何かを探すしかない。それはとても見つけるのが難しく、漸く没頭できるかもしれない何かを見つけても結局没頭できずに、打破れて無と過ごす。

自己を考えるためには他者の協力が必要。でも私は、部屋に一人。部屋には自分自身しかおらず、仕方なく自分自身と対話している。自分自身との対話は合わせ鏡のように考えがループしてしまう。インターネットで何か文章を見たり、聞いたりしたってそれは私に向けられた物ではない。私だけの関係、情報、対話が必要なのに一人だとそれがない。それでも情報を繋ぎ合わせて考えを前進させてきたつもりだけど、実際はただ横に移動しただけじゃないのかと思ってしまう。そして、それを指摘してくれる人も居ない。

コンプレックスを無くす為にはコンプレックスに対する見方を変えなくてはいけない。必死にコンプレックスを無くそうとしても、対話しているのはコンプレックスのある自分自身であり、ただ押し問答になるだけで、それから抜け出す為には他者と対話しなければいけない。自己を変える為には他者に映る自己を変えなくてはいけない。他者が媒介しないで自己を変えるのはとてつもなく難しい。

インターネットでは相手が存在を証明してくれて初めて見られる側が相手の存在を認識する。折角、アクセスがあっても、アクセスからはアクセスされたしか認識できない。そのインターネットの冷たさは現実のストレスから私を守ってくれても、孤独は加速させる。

現実は目の前を通った人の服装、表情、匂いを認識する。そして、相手も私を認識しているかもしれない。そこには様々な可能性がある。外に出て、知らない人とすれ違い、知らない人に話しかけられることは最悪だけど、最高でもある。

人の表情や匂いや音の全てがストレスだと思う。しかし、現実の方がコミュニケーションツールが多い。私のような文字での表現が下手な人間にとっては魅力的に映る。

それでも、ストレスの中に身を置けない。誰かに背中を押されるか、手を引っ張ってもらうしかないと思う。しかし、リスクを背負ってまで手を伸ばしてくれたのにも関わらず、私は相手の手を払ってしまう。

だから社会に飛び込まなくていけない。でもどこで、一体どのタイミングで飛び込めばいいのかがわからない。

もし、もう少し本や映画と深い関係を築けたら違ったのかな。孤独を楽しむことが出来なかった。みんな時間に追われ、残った少ない時間を誰と共有するかを選択している。ある人は選択され、ある人は選択されない。最後まで誰の選択肢にも入らなかった人はどこで何をしているんだろう。選択されなかった人達と仲良くなりたかったな。

ps

ミスターガラスを見た。面白かった。ただ前作のスプリット、アンブレイカブル見てから見ないとつまらないと思うので時系列順に見た方が良いと思います。

ミスター・ガラス (吹替版)

ミスター・ガラス (吹替版)

 

 

11/05 自己と絵と

絶対に働きたくない。

いやむしろ動きたくない。

そうも言ってられず、働き口探すのか・・・探したくないな。

ミルの自由論はまだ読んでないし、ヨブ記は解釈が難しすぎてもう読んだ事とする。

今日はこれ見た。

ocw.u-tokyo.ac.jp

これも面白かった。

  • チンパンジーの子供は鏡を見て自分(自己)を認識できるが、社会から隔離して育てたチンパンジーの子供は鏡を見ても自分と認識できない
  • 私たちは、他者の視点を取得し、他者から見た自己、すなわち「他者としての自己」を見ることができるようになって初めて、自己と他者の区別を知り、自己を認識することができる。
  • 内発的動機づけが自己観によって異なる。
  • ヨーロッパ人は自己と他者が分かれている相互独立的自己観だが、アジア人は自己と他者が結びついている相互協調的自己観
  • ヨーロッパは自ら選択をするように教育するが、アジアは親や教師が子供に代わって選択するので違った自己観が形成されるのではないか
  • 内なる心は開かれた他者との関係の中で育まれる(重要)
  • 自己とは他者を媒介とした自己の理解である(他者を介して自己を理解する)
  • 自己は他者にとっての媒介でもある(共感の事か?)

ざっくりまとめた。

自分の考えに流用できそうな研究結果があって良かった。

内発的動機づけは個人的な心理プロセスとして捉えられてきたが、実は他者との関係の中で影響しているプロセスかもしれないという疑問は肌感覚ともあってるかな。

他者と自己、加害者と被害者みたいな対立する関係を俯瞰で理解しようのは、相当大変そう。

もう少しコミュニケーションや社会と絡めて思ってる事があるのですが、上手く要約できない。

手に余る事をやってると途端に要約出来なくなる。苦しい。

あと絵が描けるようになりたいな、と思ってこの2つの本を読み始めた。

 

ノート・日記・手帳が楽しくなる ゆるスケッチ

ノート・日記・手帳が楽しくなる ゆるスケッチ

 

 全然うまく描けなくて笑ってしまった。絵が下手。

物体の構造を理解するのが下手らしい。数学が苦手なのもこのせいかも。

昔から構造を理解するのが駄目。

定規とコンパスを使おう!ってアドバイスが一番ハっとした。使おう定規とコンパス。

次から絵の練習を継続できるように絵を日記内で公開しようかな。